京都: 修学院離宮

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久しぶりの京都です。
梅雨だ…とおもっていたら奇跡の曇空。
よかったと思いつつ、何とも蒸し暑い!
汗がたらたらと、じわじわと…。
はああ。
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さてさて、3か月前から予約を入れていた修学院離宮に行ってきました。
御所と同じで、宮内庁管轄。
拝観無料の代わりに予約が必要です。
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広い…。
全部で75分歩きます。
最後には足がふらふらになってました。
これは7月から9月はきついですよ~。
きっとね!
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主にお庭の見学なので、秋が人気らしいです。
さぞや紅葉が美しいかと思われます。
今の季節はその分、森林浴です。
緑を楽しみつつ、それでも最後は疲れきってました。
広すぎ…。
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修学院離宮はどんなところでしょうか?
ってことで調べてみました。

17世紀中頃(1653年(承応2年) - 1655年(承応4年))に後水尾上皇の指示で造営された。桂離宮・仙洞御所とならび、王朝文化の美意識の到達点を示すものとなっている。
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修学院離宮は上御茶屋、中御茶屋、下御茶屋と呼び習わす3か所の庭園からなり、面積は54万平方メートルに及ぶ。各御茶屋の間には田畑が広がり、細い松並木道が各御茶屋を結んでいる。上御茶屋と下御茶屋は、後水尾上皇(第108代天皇)の指示により、1655年(明暦元年)から1659年(万治2年)にかけて江戸幕府が造営した離宮である。後水尾上皇は女中に変装して輿に乗り、造営中の離宮を自ら訪れて造営の指図をしたというが、真偽のほどは定かでない。
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上・下御茶屋は1884年(明治17年)、宮内省の所管となった。一方、中御茶屋は、同じ頃後水尾上皇の皇女の御所として造営されたもので、1885年(明治18年)に修学院離宮に編入された。

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巨大な人工池の浴龍池(よくりゅうち)と大刈込を中心とした壮大な庭園である。

御幸門から石段を上った離宮内の最高所に隣雲亭が建つ。ここまで登ると、急に展望が開け、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる。

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隣雲亭の軒下の三和土(たたき)には赤と黒の小石が埋め込まれ「一二三石(ひふみいし)」と呼ばれている。

これはその一二三石。
なんともわかりづらい…。

by dobbymylove | 2010-06-19 11:20 | 京都