京都: 寺田屋

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寺田屋です。
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実は、どび~はそんなに新撰組も龍馬もファンではないんですねえ…。
だから、どうしよっかなあ…ぐらいな気持ちもあったんですが、折角、伏見桃山まで来たので前まで来てみました。

寺田屋事件で有名な寺田屋ってことで、寺田屋事件についてGoogleしてみると…、

寺田屋事件(てらだやじけん)とは、江戸時代末期の京都郊外の伏見(現在の京都市伏見区)の旅館・寺田屋で発生した事件である。以下の2つの事件が寺田屋事件と呼ばれる。

文久2年(1862年)に発生した薩摩藩尊皇派等の粛清事件。
慶応2年(1866年)に発生した伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件。


ええええ?
そうなんだ、龍馬襲撃事件以外にも寺田屋事件ってあったんだった…。
忘れてました…。

で、またGoogleしてみた上で、だいぶはしょってみました。

文久2年4月23日(1862年5月29日)に薩摩藩尊皇派が薩摩藩主の父で事実上の指導者・島津久光によって粛清されたと言われる事件。寺田屋騒動とも。

藩兵千名を率い上洛した久光は日本中の尊王派の希望をその身に背負った。しかし久光にはこの当時は倒幕の意志はなく、公武合体がその路線であった。このことに不満を持った薩摩藩の過激派、有馬新七らは同じく尊王派の志士、真木和泉・田中河内介らと共謀して関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸を襲撃することを決定し、伏見の船宿寺田屋に集った。

久光は大久保一蔵等を派遣しこの騒ぎを抑えようと試みたが失敗したため、彼らの同志である尊王派藩士を派遣して藩邸に呼び戻し、自ら説得しようとした。しかし、これを拒否し、“同士討ち”の激しい斬りあいが始まった。この戦闘によって討手1人と新七ら6名が死亡、2名が重傷を負った。その後、残りの尊王派志士たちは投降した。

この事件によって朝廷の久光に対する信望は大いに高まり、久光は公武合体政策の実現(文久の改革)のため江戸へと向かっていった。


勉強になるなあ…。
で、思いだした!
「篤姫」でこのエピソードあった気がする…。
そうかあ~。とひとりで自分の記憶の悪さを痛感したりして…。

あ、「龍馬」から外れてしまいました…。
でも、そういうことなのねえ…。

by dobbymylove | 2010-03-07 09:24 | 京都